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執筆者の写真yorubityou

砂と砂の関係者全方面に対する批判に該当する可能性のある文章


まえがき

 これは『華見川国名series.01 スペイン風車の謎』(以上以下、砂)の感想である。


 砂と砂の関係者全方面に対する批判に該当する可能性のあるもの、と銘打って出しているが、本文はあくまで感想として書かれたものである。


 感想である以上、自分の解釈について述べている部分もあるが、公式の解釈を示したものではなく、あくまで自分自身の解釈である。


 あくまで感想、著者や関係者、読者の中の誰のためでもなく、自分が書きたかったから書いた、感じた事や思った事の備忘録である。


 いいと思った事はいいと、どうなんだと思った事はどうなんだと書いているだけだ。


 本文に文字通りそのままの批判の意図は無いが、例えば一個人の感想である事を理解しようともしない方、または自分の思い通りの事が書かれていないからといっておピキりになられる方からしてしまえば、どんなことを書いても立派な批判に該当する可能性があることは違いない。

 それなら結局批判と表記しておいた方が話は早い。表題はそういうことだ。


 範囲を砂の関係者全方面にしているのも似たような理由だ。この本は著者のみの手によって作られたわけではないため、どうしても著者以外に触れるべきである項目がいくつか存在する。

過去表紙のイラストレーターから印刷所まで、軽く触れているだけの人も、思い切り触れた人もいる。

 それなりな人数であり、ほとんど肯定的であるが、否定的に触れている部分もある。

 それに、自分のファン以外に制作物に言及されるのが地雷な人がいた場合なんかは、何を書いても文句を言われるだろう。

 全ての関係者の地雷の把握などできないし、知っていたとしても全てへの配慮など不可能である。

 そういった方々が間違っても覗きに来ないように、の、「批判に該当する可能性のあるもの」という表記である。


 また、ここまで書いたことは一般の皆様にとっても他人事ではない。

 過激と言われてもおかしくない表現も混ざっているし、特殊な人間でない以上猶更、皆様への配慮など一ミリもされていない。

 これを読んだことであなたが不快な気持ちになったとしても、私は責任を負うことができない。

 ここまで言っているのに覗きに来るのは、わざわざ自分からアンチスレを覗きに来るのと同じようなものだ。以降、自己責任である。是非ご自衛をお願いしたい。



 なんて脅しのようなことを書いたが、結局はただの感想である。

 私と同等の感性をお持ちの方であれば、特に不快になることもなく読み進めることができるだろう。


 

 最後に、この感想に対する感想や批判などはあっても何とも言うことはできないし、何とも言うべきでもないが、ここまで注意書きがされているのに覚悟せず覗き、気に食わないとか言うのはもう当たり屋である。

 その点を留意した上でお読みいただきたい。


 できなければ勝手にふぶ漬け食ってろ。








 


 概ね良かった。流石は道引先生といったところか。


 私がリーゼロッテ贔屓であることを差し引いたとしても良作だった。

 序盤と終盤の出来に関しては他の作品と比べても頭一つ抜けているのではないだろうか。


 特に終盤の展開の爽快感は前三作の比ではない。華見川推しの人間にはたまらなかっただろう。

 私は別に華見川を好きな人間ではないが、それでも最後のあのシーンには震えた。かっこいい。


 だがやはり、総合的に見てしまうと東は二度死ぬ(以下、東死)が一番であることに変わりはない。

 きっと思い出補正もかかっているのだろう。もはや呪いである。

 読了後の余韻で、あと一歩及んでいないような気がしてきてしまう。

 仕方のないことだ。恐らく、今後いくら道引先生の作品が世に出たとしても、私の中で東死が超えられることはないのだろう。


 だが良作である。万人には……前提の知識があった方が良い中身であるためおすすめはできないが、クズ卓のヲタクであるなら是非読むべきだと思う。



 そんな本作、みんな大好きリーゼロッテ様のコピー視点で描かれたお話という事もあり、リーゼロッテ・キングの限界ヲタクを名乗らせていただいている私にとって非常に嬉しい作品であった。


 今までありそうでなかったのだ。

 イラストこそ頻繁に出ていたが、リーゼロッテ周りは設定が複雑であるにもかかわらず、供給や掘り下げがそこまで多くもなかった。


 そんな中いきなり投下された特大の供給。

 私達の描き出した偶像ではない、公式そのままのリーゼロッテの一人のお話。

 ヲタクのよく口にする「助かる」とは、きっとこういう時にこそ使うものなのだろう。


 そんな重い背景と期待を背負って頒布された今作、言うまでもなく、中身も素晴らしいものだった。


 アリアドナが思っている以上にリーゼロッテ様なのだ。

 1作目から自分がコピーだという自覚のあるリーゼロッテ様を出してしまって今後大丈夫なのか、という不安はあるが、それを踏まえた心構えも、振る舞いから滲み出る道を踏み外した感も、全てが解釈一致だった。


 そもそも大前提のアリアドナの研究内容から良過ぎる。


 強い信仰による現実改変のようなものはやはり定番であり、それを題材にした話は私もよく扱う。なんだったらそれを扱うリーゼロッテ様の話も書こうとした事がある。


 だからこそ言いたい。私達のような二次創作者のFAであれば、特に何のひねりもなくその技術を(不老不死なんかには繋がらないものの)習得したという事になっていただろう。

 私達はリーゼロッテ・キングをできる限りミステリアスで、人の理からはとうに外れ、理解できない存在として置きたがるからだ。


 しかし、本作ではそうはしていない。どこを見たってままならなさがある。

 これはリーゼロッテ・キングの技術力の扱いに対する、公式が出した答えだとも言える。


 都合のいい力を揮っているように見えて、実際はそれらに振り回されている。

 理解できない存在に見えるが、どれをとってもギリギリ人から外れていない。


 技術の重みを無視しない事でリーゼロッテ・キングという設定の存在にも重みが出ているのだ。


 本題の研究も結局上手くいかず、暗示程度の事にしか使えてないのも良いし、その暗示程度の事も最大限活用するところが何よりも良い。

 アリアドナの研究の中では一見上手くいっていそうな記憶の共有も、デメリットが重すぎて使いづらそうなのもとても良い。

 拉致方法も良い。スマートに見えつつ、いつか事故が起きそうな感じが良い。


 やはり公式は一味違うと言わざるを得ない。



 そして当然アラーニャの存在も良い。彼女の存在があってこその砂である以上、この場で触れずにはいられない。

 といってもただの被害者でしかないが、他にはないリーゼロッテ・キングに絡んだ背景設定が、強く彼女の存在を意識させている。


 個人的に彼女の存在を強く印象付けた箇所がある。

 それは39ページ、2回目の回想で出たアラーニャの容姿の描写だ。


 染められた髪の色がスカイブルーと表現されていることに最初は違和感を感じた。

 が、すぐに理解した。本物でないことの表現ではないか、と。


 リーゼロッテ様の髪色は、読本に記載の設定によると銀から金のグラデーションであるが、見たままの色をそのまま受け入れれば水色から黄色である。

 そこで、大まかに似せられた容姿を端的に表現するのに『不自然にスカイブルーに染められた』という表現。

 15ページにもあったが、私が確認した限りでは、アラーニャの容姿でしか使われていない表現だ。


 パチモンであることを示すにあたって、これほどまでに正解の描写があっただろうか。


 決して読本にある「リーゼロッテ様の髪は銀から金のグラデーション」という設定を忘れたりなかったことにされたわけではないと信じたい。

 ……最近やけに水色に描かれてたけど。



 そこから描かれる、内心でアリアドナに向けていた忠誠心や恩義のようなもの、それらと複雑に混ざり合った、自分がまがい物である事由来の絶妙な卑屈さ、人間臭さ。良い。

 少し狂気が足りていないのが個人的には残念だが、それ抜きにしても、彼女がアリアドナに向けている感情はどう形容しても最高になってしまう。


 アリアドナも、表面上は隠されている重めの感情に辟易しているが、なんだかんだで有能な駒であったからか微量な情が湧いている。

 自分の作った死体を遠慮なく汚らわしいと言い放てる精神を持ち合わせていながら、彼女に対しては憐憫の情を見せたのだ。陳腐に凡庸に表現するならこれも愛の一種である。

 この二人の間だけでも人物相関図の潤いが半端ではない。

 これには関係性ヲタクもにっこりだったろう。



 さて、これまで私は人物描写に関してしか触れていない。

 肝心のミステリとしての出来に関しては……どうだろうか。



 これは私の問題であるが、この手のものを特に読んでいるわけでも、書いてきたわけでもない。

 そもそものジャンル自体、嫌いではないが、あまり好きでもないのだ。

 そのため、推理もあまり得意ではない。


 真面目にやってみようとしたことは幾度となくあるが、どこからどこまでを手掛かりとしていいのかわからないのだ。

 下手なことをするとメタ読みと言われ、怒られてしまう。やってられない。


 ただ、いくら私がとっかかりを見つけるのが下手とはいえ、どうも今回はいつも以上に手掛かりが少ない気がする。

 こんなものだっただろうか。

 そうだと言われればそんなもののような気もするし、気のせいかもしれない。



 とまあこの通り、この分野に関してはどうこう言える知識を持ち合わせてはいないため何も言う事はない。


 一応、読者への挑戦で律義に手を止め、もう一度見落としが無いか読み直したりはする。



 風車に吊るした人間とアラーニャを殺した人間は別なのだろう。だってわざわざそんな面倒なことをする意味が無い。

 恐らく華見川だ。本物を引きずり出すためとかそんなものだろう。


 順当に行くのであればクレブラかフォカ……エリソもあるかとは思ったが、なんというか、弱い。

 動機に納得がいくのはフォカであり、一番できたと言われて納得ができるのはクレブラであった。



 ……なんて考えてはいたが、周回を重ねるたびに段々どうでもよくなってくる。 

 3周目のあたりで最終的に、もういいやパトとかで。どうせ女装した華見川とかだろ。となってページをめくった。


 この読み方、あまり推理得意ではない勢からしたらものすごいストレスが溜まりそうに見えるが、ループものから抜け出した主人公の気分を疑似的に味わうことができるので悪くはない。脳汁が出ているのを感じる。


 犯人こそ違ったが、華見川は女装していた。



 ここで一つ物申したい事がある。

 華見川の女装についてだ。


 アラーニャは勿論だが気付くことがなかったし、アリアドナも気づいたのは死ぬ間際である。

 そんなことがあり得るだろうか?



暫くの間、思想が強くなる。ご注意を。



 近年、女装男子とかそういったジャンルのものが世に増えてきているような気がする。

 それに加え、バ美肉、女の子よりも女の子かわいいと言われるような方々も増え、だんだんと感覚がマヒしている方もいらっしゃるかもしれない。


 今一度現実を見ていただきたい。


 実際にこの世の大半の女装男子を目の当たりにして男だとわからないとかほざくやつは、とんでもなく目が節穴か童貞野郎のどちらかだ。

 フィクションの世界であればともかくとして、基本的に現実であれば、よほどうまい人がめちゃめちゃ気を使っていない限り見分けがつかないということはない。


 なぜなら人間の男女は根本的部分から構造や位置が微妙に違っており、それに対して疑問も持たず、変わることのない前提として暮らしていくためだ。


 静止画のショットや遠目で見たりであればわからないが、ちゃんと見ればすぐにわかる。

 稀に「女装バレない」などとほざいている輩がいるのを見かけるが、それは道行く人々にとってそいつが一瞥をくれてやる程度の興味すら湧かない数多くいるモブのうちの一人であって、もし気づいたとしてもわざわざ指摘してやることで関わりを築きたくないからであり、バレていない、とするにはあまりにも緩い判定の中で生かされているだけのことなのである。


 話が逸れた。で、華見川……もといパトの場合を考えていこう。


 パトは目元に濃いメイクをして、顔の下半分を隠していた。顔つきだけならそれでごまかせるかもしれない。

 だが骨格はどうだろうか? 筋肉のつき方は?

 皆胸だとか尻だとかわかりやすい部分は気付いて隠すが、細部は結構おざなりになりがちである。


 パトが着ていたのは濃紺のパーティドレス。

 華見川だったらそれなりに筋肉もついていただろうし、男性特有の骨格や筋肉のつき方をパーティドレスで隠しきれていたかというとかなり怪しい。

 シリコンスーツも着用していたらそれなりに見えるかもしれないが、結局あれもそこまで万能ではない。作り物感というのは微妙にある。


 そしてアラーニャはともかくとして、アリアドナは人体実験などにも携わっていたはず。人体構造にも多少の造詣はあるだろう。

 そんな人間が隠しきれていたかすら怪しいその違和感に気づかないなど、かなり不自然な話だ。


 よって、もし隠しきれていたとしたら、着るものにはかなり気を使わなければならない。

 パーティドレスには体形がわかりにくい形のものも一応あるが、それだとシルエットの女性らしさが足りないか。

 首あたりまであり、腹のあたりが絞られているロングのパーティドレスだと仮定しよう。腰あたりがさみしく見えるかもしれないしパニエなども着用しているかもしれない。私が今思い浮かべているドレスならAラインのものがよく合う。

 だがそれだけだと腕のあたりが心もとないので大きめのショールを羽織って……


 失礼、少々楽しくなってしまった。


 このように、不自然にならないようにするためにはそれなりに着込むことだろうが、その状態の動きに違和感が出ないとは断言できない。

 例えばロング丈のドレスで、パニエなども着用していようものなら、ある程度の慣れがないと頻繁に裾を踏んづけてしまう。


 動きに着目していうのであればそれだけではない。実は結構軽視されがちだが、人間の情報として歩様や仕草などは結構重要な項目である。


 モーションキャプチャーを使用しアニメーションを制作する時なんかに「男が女役をやると動きがカマ臭くなる」と言われたりするのをご存じだろうか。

 意味は文面のとおりである。

 近年はVRなどで女の子のアバターを使ったりして、女の子よりもかわいい、と言われたりする方々もいらっしゃるが、あれはまた別枠。なんというか、求められているものが違うため、同列に扱われても困る。(そもそも表情筋などは彼らそのもののものというよりあらかじめブレンドシェイプなどで登録されているものを彼らの表情に当てはめているのだから云々……)

 細かい所作などはやはり限度があり、気を抜けば男っぽく、気を付けすぎればわざとらしすぎる。わざとらしすぎる場合はまだかわいらしさとして受け取ることもできるかもしれないが、平常の演技にそこまで媚はいらない。

 そのため、どうしても自然な演技にはならないと言われている。


 女装を見る時も同じであり、静止画であればそれなりに見えても、動き出せばやはり素人目にもわかる違和感が出る。

 世間が思っている以上に所作などは一朝一夕でどうにかなるものではないのだ。

 

 この通り、女装というものは意外とばれないようにするのが難しい。

 まさか主催が新規の参加者をあまりよく見ていなかった、なんてことはないだろう。

 もし見破れなかったとしても、アラーニャはともかく記憶を覗いたアリアドナすら多少の違和感にも気付かないというのはおかしな話だ。手が女性にしてはやたらごついとか。多少は身体つきなどに違和感を感じた文があっても良かったのではないか。(私が見逃している可能性もあるが)

 本作はフィクションではあるが、他の部分が妙に現実的なくせにそこだけ非現実にすり寄っても違和感しかない。


 だが、まあ、その描写をねじ込むには難しかったのかもしれない。

 ジャンルの関係上、「見えている目元のメイクが濃い」あたりが関の山で、これ以上女装を疑わせるような表現を入れてしまえばあからさますぎると思った可能性もある。

 そう思えば仕方のないところだ。

 


 せっかくだからこの調子であと一つ残念だったことも書いておこう。   


 細部の描写。特にアリアドナの。

 先ほど述べたように良いところは沢山あり、新たな供給とするには充分であったのは確かである。


 しかし不思議なことに、全然リーゼロッテ様に触れた気がしないのだ。


 大半がアリアドナ視点というのがかえって良くなかったのかもしれない。


 彼の文は特徴的である。なびるな節とでも言うべきか。

 垢まみれになっている程ではないが、どこか古臭い文であり、彼のインプットした作品の世代の偏りが微かに匂っている。

 彼のブログなんかがよく効いていてわかりやすい。彼のブログと他の誰かのブログを読み比べてみればすぐわかる。


 なびるな節の効いている文章は立派な彼の持ち味ではあるのだが、なんせ今までの皆切探偵Fileをそのままで、ブログに関してはマシマシで書いている以上、同じように書かれた砂も、主文を読めばどうしてもなびるながよぎる。


 読み始めた当初は


「好きな男と好きな女をいっぺんに楽しめてお得♪」


 だとか実に能天気なことを考えていたが、実際のところは


「好きな女がいると言われた部屋にうっきうきで入ったら、好きな女の恰好をした好きな男が立っていた」


 であった。

 伝わっただろうか。

 今となっては別に好きな男ではない……好きではあるが、まだ以前のように媚を売るほど好きというわけでもなくなってしまったため、なお悲惨である。


 あと、これは絶対に伝わらないし共感されない自信があるのだが、どこか野郎臭い。

 自分でも上手く説明できないのだが、アリアドナもアラーニャも、どこか女性みを感じない。

 アルルルの時も若干思ったが、彼の書く文自体が女性キャラクター視点の描写に合わないのかもしれない。

 実際、129ページの視点が暫く切り替わる部分は違和感がない。そこに関しては滑らかに切り替わりすぎていて、ちょっと頭が混乱したことも記憶にある。

 

 だが大半の人が気にすることのない細部である。主題に一ミリも関係がない。

 ただ、痒くないところもかきつづけていれば痒くなってくるのと同じく、気になり続けたことにより1違和感とカウントして差し支えない程になっていく。


 結果、出番が少なくても丁寧に格好良く描写されていた華見川の掘り下げが一層引き立つので良いことなのかもしれない。


 本当に華見川の描写に関しては文句のつけようがないくらいに良く書けている。

 ほとんどの読了勢がまず触れていたのもそこだった。

 なんだったら、今回一番脳を焼かれたのはリーゼロッテのヲタクではなく華見川のヲタクだろう。


 暗示を一発で見破るところは彼の執着の強さが伝わってくる。(フォロワー曰く気持ち悪めのストーカー)

 ちらっと見えた孤独なヒーローとしての一面はもれなく華見川のヲタクを悶絶させただろうし、最後の一幕も、どうしようもなく良きファンサービスであった。


 ここのところずっとリーゼロッテの流れだったので、華見川の掘り下げがそんなにないと思って読んでいない華見川推しがこの世に存在していないことを祈るばかりである。




 さて、大方言いたい事には触れたのでそろそろ締めたいところではあるが、今回に関しては本文以外にも触れておきたい部分がいくつかある。

 もう少しお付き合い願いたい。



 一つは表紙。



 内容と一切関係がない上、電子版の方々にとってはなんのこっちゃと言いたくなるような部分があるため言及するか迷ったが、今回はしようと思う。



 何と言っても表紙の箔押しがかっこよすぎる。



 タイトルのロゴに使われている控えめな色合いの箔押し。

 それが、この本を本棚から手に取った瞬間、きらりと光ってその存在を主張するのだ。その特別感たるや。

 これこそが、一介の本に過ぎないこの本の価値を、倍に倍にと押し上げている立役者であった。


 やはり箔押しとあると、何のひねりもなくキラキラさせてなんぼやろという発想になりがちで、それでも十分に魅力を発揮する加工ではある。が、

 控えめに他の要素を邪魔せず、だが堂々とした存在感でそこにあるような。

 こういった使い方こそ、箔押しの真骨頂であると言えるのだろう。


 この本を手に取って真っ先に確認したのが印刷所だ。太陽出版、いい仕事をする。覚えておこう。

 何を隠そう私の死ぬまでにやりたいことリストの中には「箔押しをばちぼこに使った印刷物を作る」が入っているのだ。

 その目標のために日夜「デザインのひきだし46 箔押し&箔加工編」の付録を舐め回すように見ている程度には本気で考えている。

 やりたい加工は既に両手で数えきれないほど。

 そんな中、こんな素敵な箔押し印刷物を見つけてしまったのだ。さらにその決意が固まって、これは中々死ねそうにない。


 色は……太陽出版のサイトを見る限り、シルバーかクリアだろうか?

 確か黒の箔押しも考えたが流石に勇気が出なかった、となびるなが言っていたのをどこかで見た気がする。

 ふむ、黒地に黒の箔押しも……今まで眼中になかったが、品が出ていいかもしれない。

 ただ、タイトルに使うのは流石によそう。多分暗がりでの視認性が終わるし、それは背景のワンポイントに使ってこそ輝くのだと思う。


 とにかく、表紙の箔押しの使い方のセンスが良いのである。

 自分が挑戦する時が来たら、彼にご相談を持ちかけることも視野に入れておこう。そう思うくらいには。勿論、もうそんな事はないけど。

 私がどんなに彼を腹立たしく思っても先生と呼び一定の敬意を払う理由の一端を見た。



 そんな素晴らしい表紙だが、その中でも一点文句があるとすれば、イラストである。


 勿論いいイラストである。華見川の表情とかすごく良い。

 ここも、華見川の部分はどうしようもなく良いと思う。


 ただ、リーゼロッテ様。

 表紙イラストのアリアドナ様というか、リーゼロッテ・キングの胸の形が私の解釈と違うのだ。


 リーゼロッテ様の胸の形は、以前の夏コミにて山形春名の水着イラストが出たため、そこで確認ができる。

 おわん型か半球型だと思われる。

 リーゼロッテ・キング各個体によって肉付きなどに多少の差はあれど、同一人物である。そう大きく身体つきが変わるとは思えない。

 よって、他個体のリーゼロッテ様の胸の形も、おわん型か半球型でないとおかしいという事になる。


 しかし私は胸のスペシャリストではない。私の判別能力なんて高が知れている。

 絵柄によるものもあるだろうし、実は全然釣鐘型だったりと、別の形である可能性もありうる。


 だが、表紙のアリアドナ様の胸の形は、どう見ても山形春名水着イラストの胸の形とは別タイプだ。

 三角型だろうか。絵柄云々では到底擁護の出来ない別の形である事は非常に確かである。


 顔の形や骨格、手や足の形にも人によって差異があり、それぞれ私達にも分かりやすく簡略化された指標となる分類がある。わかりやすい部分で言ったらツリ目タレ目など……

 ツリ目キャラをタレ目キャラに描いたら怒られるのは流石にわかるだろう。世の双子キャラの見分けがつかなくなる。人によっては万死に値する行いだ。


 胸の形もそれらの延長線である。

 世には女を胸だけで見ていると豪語している碌でもないモノもいるくらいなのだから、人によってはそれらと同じくらい重要なポイントであること、認識していただきたい。


 だがそもそもなぜ水着でもない、しっかりと着込んでいるこのイラストの胸の形がわかるのか。


 胸の形がはっきりとわかる描き方は今や表現としてよくあることだ、それに対する突っ込みは野暮かとも思ったが、冷静になってみればそうもいかない。


 だってあそこまではっきりと胸の形がわかるとなると、それはもう確実にブラジャーをしていないから。


 ブラはある程度胸の形を補正するものである以上、胸の形はわからなくなる。

 というか、そもそも乳首の形が見えていることがおかしい。ブラを付けている状態ではあんなにはっきり見えるはずがない。

 もしカップを付けていても貫通して見えるとしたら、それは乳首が持っていい硬度じゃない。「鋼鉄乳首のアリアドナ」。乳首で敵の首が狩れそうだ。


 間違えて脳みそだけエロゲ世界にトリップしてしまった哀れな異世界転移の犠牲者は知らないかもしれないが、下着を着けずに外出するということは恥ずかしいことに該当する。

 家やその近場でならまだしも、ある程度の年齢を重ねた人間の公共の場でのノーブラは、普通に……引く。

 私の貞操観念ではギリギリ痴女ラインに抵触する行いだ。

 しかも友人にいてもまだ許せる程度の痴女レベルなのが妙に生々しい。


 何? 強気なあの子が下着をつけていないなんてえっちで良いだろ、だぁ……?

 黙れ脳みそ生殖器野郎。気持ちは認めるがTPOを弁えろ。

 生殖器に海馬はないため覚えられなかったかもしれないが、これは公式である。成人向けでも無かったはずだ。


 そういった場所でノーブラであると推測できる現状、個人的にはちょっと嫌である。


 それに下着というものは、TPOを弁え、脱ぐべき時に脱がなければ、いずれは普遍的なものとなってしまい、脱いだ時の価値が下がっていくのだ。

 そのあたりは個人の好みにもなっていくので一概にこう、と押し付けるべきではないかもしれないが、隠されているからこその神秘性、というものは確実に存在している。

 エロを大切にすればするほど、ノーブラの安売りには眉を顰めるべきであろう。


 ただ、着物なんかはノーブラで着るものであるから、表紙のアリアドナが着ている服がスペインで独自発展したネオ着物であるという裏設定があった場合はセーフである。アリアドナ微痴女疑惑は免れる。


 うん、ぱっと見スペインの気候にすら合っていなさそうな洋服だが、頑張ればシルエット的にも着物の進化系と認識できない事もないし、きっとそうなのだろう。

 着物、私の知らない間に随分とハイカラな形状になったものだそんなわけあるかスペインだぞ。

 仮にスペインで独自発展したネオ着物だとしても、やはりそんなものを好んできている時点でだいぶやばいやつ(従来のリーゼロッテ様において想定されているものとは違う意味)なので、結局遺憾であると言わざるを得ない。


 公式、公式かぁ……



 ……ん?


 というか、これ目も違くないか?


 リーゼロッテ様は基本的にどんなイラストでも若干タレ目に描かれている。角度や目の伏せ方により若干ツリ目に見えることもあるが、基本目じりは少し下に下がっている。

 瞳の色も結構しっかり緑のはずだが……緑色は色が出にくいというし、これは印刷の仕様上の問題かもしれない。


 いや、口の形も違うな、犬歯が描かれていない。


 目の形ならまだ絵柄で擁護できるが、ちょっと見えている犬歯は彼女のトレードマーク。これが描かれていないのは絶対におかしい。


 アラーニャの方である可能性も考えたが、彼女であればそばかすがあるはずだ。メイクはほとんどしないとあるし、しているんだとしたら、彼女の唇は赤く染まっているはず。

 アラーニャであれば、そんなわかりやすい特徴を逃す意味が分からない。


 ……胸の形はまだマニアックな部分という扱いであるとは思うが、ここまで違うのは流石にどうなんだろうか。 

 『『目・八重歯・髪色』の三点をおさえれば誰でもリズになるデザイン』と言っているのは公式である。読本に記載があるのだから。

 その三点中二点すら守られていないのは流石に……


 勘違いしてほしくないが、別にいちファンによるファンアートであればこんなに姑のようにぐちぐち言うことはない。

 これが二次創作であれば、そういうイラストでしか栄養を摂取できない哀れな異教徒として処理ができた。


 だが、これは公式である。


 公式が出している代物である以上、それが絶対であり、その代わりにそれなりのクオリティが担保されているものである。

 そう考える人は決して私だけではないだろう。


 実際、今までの皆切探偵Fileの表紙ではそうだった。


 なびるなと関わりこそあったがクズ卓とはあまり関わりが無さそうな人間が描いていたのに、細部の設定まで意識がされていた。

 『万田の髪は皆切という太陽を反射して桃色に光っている』というマイナー設定(読本に記載がないためそう表現)すら意識されているふしがあり、そんなファンサービスがいっぱい詰まっていたところも魅力であったし好きだった。


 しかしどうだ、今回は。

 クズ卓のファンと公言している人間が描いている、という触れ込みだったのもあって、とても裏切られた感がある。

 それに、監修していたはずのなびるなは一体何をしていたのか。

 ……そういえば、序盤でアラーニャの染められた髪の色がスカイブルーと表現されていた。

 もしかしてあれは意図的ではなく、単に設定を忘れていたから……?

 なびるなにとって私の推しは、最初に言っていた設定を忘れたりするほどどうでもいい存在だったのだろうか。


 大体なんだ。「甘党ふうせんがやりたいとずっと言っていたからやらせた」って何度も言い続けて。

 友人同士のノリであってもあれじゃあ「自分が我儘を言ったから仕方なくやらせてやった」と言われているようなものじゃないか。大丈夫なのか。


 湧いた不満をTwitter上でぼやくと、なびるなご本人から抗議が飛んできた。


『表紙に載っているのは、ほぼ確実にリズだろうけどリズでない可能性も否定できない程度な方がいいので、多少ブレがある』


 つまりはわざと、という事だった。

 ご、ごめんなさい勝手な事書いて……


……



 いやわかるかい……


 やりたいことは理解できたが、あまりにも……微妙すぎていまいち作画ミスなのかあえてなのかの判別がつかない。言及も今までなかったわけだし。

 察しろというのも割と無茶だ。

 

 だが、これではっきりした。


 あれはほぼ確実にリズ(アリアドナ)だろうけどリズ(アリアドナ)でない可能性、つまりは曖昧、不確定な表現で描かれているから、本来のアリアドナの姿があれというわけではない!

 そして!本来のアリアドナはブラをしている可能性がまだ残されているという事でもある!やったね!!!!!


 ……えっ?そうじゃない?


『「完全にアリアドナ・レイだが、アリアドナ・レイ=リーゼロッテ・キングなのかは確定できない」が正しい』……。



 ……。


 アリアドナ・ノーブラ・レイかぁ……。






 一つ目でだいぶ盛り上がってしまい気まずい空気が流れているが、まだ一応もう一つある。


 解説についてだ。



 今回は解説もそれなりだった。

 前回が(仕様上仕方ない部分があったとはいえ)酷すぎたためあまり期待はしていなかったが、今回はちゃんと解説の体を成していた。


 『現地ならではの言葉遣いが表現に盛り込まれている』……。


 確かに、本編には「ん?」となる表現がいくつかあった。それの事だろう。

 あまりに自然なものだからするする読み進められてしまった。きっと気付いていないだけでもっとあるのだろう。あまりにも時間を持て余している方は、一つ一つ探し出し、一度全て調べてみるのもいいかもしれない。私はやらないけど。


 例えば、『猫の肉』。これは私も気になっていた。

 『兎と言って、猫の肉を渡す』ふむ、面白い文面だ。

 で、意味は……?


 ……載っていない!?!?


 自分で調べろという事だろうか。無礼な。

 今は文字だけの分際で、愚かにも私を誘導しようというのか。

 その程度の見え透いた思惑に引っかかる程度の存在だとでも思っているのか。舐めやがって。


 そう憤慨した数秒後。


 そこには、いそいそと検索窓に文字を打ち込んでいる私がいた。


 不遜なポーズも虚しく、結局は知的好奇心の誘惑に負けたのだ。


 面倒臭いことに、微妙に記事が少ない。中身のない記事ばっかりヒットする。インターネットの絶妙な使えなさなぞ、今に始まったことではないが。


 羊頭狗肉みたいな意味だそうだ。


 うーん、手のひらの上で転がされた感じがする。くそ。ほんのちょっぴり悔しさを味わっている。

 解説担当は……まままさんか。

 今度もし話す機会があったらこっそりマスクの下で変顔をしてやろうと思った。




 以上、いろいろ書いてみたが、いかがだっただろうか。


 結構色々なことを書いた気がするが、総評としてはやはり良作、クズ卓のヲタクであれば読んで損はない作品だったと思う。

 私の忠告も虚しくここまで読んでしまった未読勢は、今からでも遅くない。

 私がここに記した魅力はほんの一部であるし、私が気付いていない魅力もきっと沢山ある。電子書籍版でもいいから、一度手に取っていただきたい。

 あなたがどう思うか、思ったかはわからないが、少なくとも私は大変満足している。



 ……惜しむらくは己の身体の弱さ、ほぼ確実に聖地の巡礼はできないだろう。

 20代のうちからコミケの疲れが1週間取れない人間だ。確実に行きの飛行機の中でショック死する。


 もし、皆様が聖地巡礼に出向かれるようなことがあれば、是非とも、私に思い出を送っていただければと思う。

 少々心残りではあるが、私の走馬灯はそれで満足という事にする。

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